高校2年の時に読んだ本

私の父と祖父は教師でした。
だから、私もなんとなく学校の先生になりたいと思っていました。
親戚の集まりも、「cucumberちゃんは、何の教科の先生になるの?」
とよく聞かれて、大好きな英語か日本史の先生になりたいと答えてました。


高校に入学したての頃は、Diorのプレタポルテのショーをみて、ファッションデザイナーになりたくて、
専門学校に入学してパリに留学したいって思っていたのに、大学進学のコースのクラスに入ってた。

そういえば、小学校から水泳とピアノの習い事をやってて、(小学校教諭の試験にある)
中学校ではとりあえず部活に入らないと先輩からいじめられるから体育部に入って
高校に入ったら美術部に入りたかったのにそのまま親に言われて、同じスポーツの部活に入った。

高校2年になったら、とりあえず県内か近くの県の国公立の大学に入って、
英語か社会の先生になろうかな、とぼんやり思ってた。


16歳の高校2年の時、色々あって社会人の彼氏ができて、しかも初めての彼氏だったから、すっごく浮かれていたころ。
同級生に相手にされなかった私は、年上の人と付き合い始めました。
(その後、20代後半になっても年上が好きになるのは置いといて・・・)

それが親にばれてしまって、親、大激怒。そりゃそーだわ。
携帯も止められて、誠実な彼は私の親に挨拶しに来たけど、火に油を注ぐ結果に。

泣く泣く別れました。今でもそれを思い出すと悲しい思い出です。
母親ですら、別れなさいの一点張り。
女同士の話すらできねーのかよ。

そこから私は反抗期まっしぐら、というか、
なんとなく生きてても味気ない、失恋特有の心がぽっかり欠けてしまった感覚と
もう親の言うことなんて聞きたくないと無気力ながら強く思いました。


別れさせ失恋事件が起きて半年後くらいに、「いまを生きる」なんとなく学校の図書館で借りて読んだ。
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泣いた。超泣いた。
泣きすぎて、図書館の本がシワシワになった。
鼻水も出すぎて、汚した。卒業後10年経ちましたが、ごめんなさい。

そのあと、テレビで映画もやってたら観た。
元々映画が先にあったらしいし。
泣いた。死ぬほど泣いた。

有名な映画だから、みんななんとなくあらすじを知っていると思いますので
詳しくは書かないです。

真面目で、規律に厳しい寄宿舎の学校に、
自由な教師が赴任してきて、生徒たちに学校という狭い価値観を打ち破って
生徒たちが、自由に生きていこうともがいていくありがちな青春を描いたストーリー。

ラストシーンは悲しい結末。
ニールは外れるはずのないレールを進めばよかったのか、
キーティング先生が、若者を心地いい言葉で乗せていたのが悪かったのか。
私はいまだにわかりません。



それから、私は学校の先生になろうと思うのをやめた。
この本を読んで、学校の先生になろうと思った人はたぶんいるだろう。
キーティング先生みたいな先生になろうと思った人もたぶんいるだろう。

ニールは俳優になりたかった。
でも私はなりたいものはもうなかった。
行きたい場所も、なりたいものも、何もなかった。

親に反抗して、私は優等生からバカになった。
何も考えたくなかったし、何も考える気力もなかった。
そんな16歳。
「いまを生きる」を読んで、なんかそういう自分が恥ずかしかったし、悲しかった。

だから、とりあえず東京に行くことにした。
とりあえず、親から離れたかったし、東京はなんか楽しそうだから、
この寂しさというか満たされない気持ちを埋めてくれる気がした。

それから、下がった偏差値を上げるために必死に勉強した。
親に反対されたら、新聞奨学生になろうと資料もいくつか取り寄せた。

担任や進路の先生も味方になってくれた。
なんで東京に行きたいのか、本心は言えなかったけど、
この2人には本当に感謝してる。私のキーティング先生だ。


それからちょうど10年たった今、後悔はしてない。
むしろ、本当に東京に来てよかった。

こんなにたくさん人がいるのに、孤独を感じて寂しくなるときもたくさんある。
今でも帰省すると、「今年の教員試験受けない?」と親にも親戚にも言われる。

でも、たぶん私はあの小さな町で暮らす気持ちはない。
学校の先生になりたいと夢見た、純粋無垢な私は死んだから。

最後に、私の母校の高校は去年合併で隣のバカ高校に校舎移転したからもう無い。



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